2014年1月10日(金)

ヒトコト劇場 #35
[桜井順×古川タク]








マディバまで50メートル〜ネルソン・マンデラに会った午後
 

 1990年2月、27年間の獄中生活から解放されたネルソン・マンデラは、8カ月後の同年10月、アフリカ民族会議(ANC)代表団を率いて来日、東京・大阪で行われた歓迎集会に出席した。10月28日(日)、西日本集会が開催されたのは、大阪・扇町公園内にあ

った旧・大阪プール。のちに総選挙を経て大統領に就任するとはいえ、かつてANCの武力闘争を指揮したこともある、72歳の元・政治犯の出獄を祝う集会に、東京を上回る2万5千人の参加者が詰めかけた。会場となった旧・大阪プールは、1957年10月13日(日)、初来日したNWA世界ヘビー級王者「鉄人」ルー・テーズと力道山が死闘を繰り広げた激戦地として知られる。アパルトヘイトとの死闘を生き抜いた鉄人を迎えるのに、これ以上の舞台はないだろう。無骨なコンクリート造りの屋外プールを埋めた、テーズVS力道山戦以来の大観衆を見て、マンデラは「まるでソウェトにいるようだ」ともらしたという。
 アパルトヘイトとの戦いにおいて大きな転換点となったソウェト蜂起は、19

76年6月、学校教育でのアフリカーンス語の強制に反発した黒人学生の授業ボイコットがきっかけだった。南アフリカを支配していたオランダ系白人、アフリカーナーの言葉を押しつけられることは、意識的な黒人学生にとって耐え難い屈辱だったに違いない。ところが、マンデラはケープタウン沖合、ロベン島の独房で自らアフリカーンス語を学び、白人との対話を試みる。結局、多くの犠牲者とともにソウェト蜂起は弾圧され、さらに翌年、その精神的支柱となっていた「黒人意識運動」のリーダー、スティーブン・ビコが官憲の拷問により虐殺された。無念の死をとげたビコと、獄中から生還し、アパルトヘイトを打倒したマンデラ。秋晴れの午後、プールの向こう側から笑顔で手を振っていたのは、ただの好々爺では

なかった。
 歓迎集会では、最後に参加者全員で「コシ・シケレリ・アフリカ(神よ、アフリカに祝福を)」を歌った。およそ闘争歌というイメージとはかけ離れた優しいメロディのこの曲、もともとは賛美歌らしい。反アパルトヘイト闘争を象徴する曲として、一時は人前で歌うことが禁じられたが、現在、南アフリカ国歌の元歌となっている。1997年に制定された新生・南アフリカ国歌は、この曲と黒人を差別していた白人政権時代の国歌のメドレー構成。民族和解のために、その出自も歌われる言語もまったく異なる2曲をマッシュアップせよと、断固たる大統領令を発したのは、他でもないネルソン・マンデラその人だった。
(吉住公男=ラジオ番組制作)



You Look Risky Lovely Risky Lovely
 

 とりたてて奇抜な化粧や、セクシャルなヴィジュアルが重要だったワケではない。エルヴィスが腰を振っただけで(猥褻だとして)放送禁止となった50年代とは異なり、ビートルズも、ヒッピー・カルチャーさえも時代遅れとなった70年代に、

新たなる価値転換としてグラム・ロックは君臨した。またしても「固定観念は疑え」という、伝統的ともいえるR&R独特の概念が新時代に登場した瞬間でもある。<中略>音楽それ自体が説明過多となりがちだった当時の風潮に背き、本来

の肉体性を音楽に取り戻すと同時に、2万字の説明文ではなく、1行の風刺で社会を切り取ってみせる、というセンスも取り戻した。故に、グラム・ロックは世間で言われているような短絡的なバカ騒ぎロック、ハイプなブームでは決してない。レトロな要素をふんだんに盛り込みつつも、演者もリスナーも、そして当時のシーン全体も、全てが未来を見据えて音楽に携わっていた時代のR&Rだった。2年足らずのムーヴメントが生み出した才能と功績は、50年以上のR&Rの歴史を俯瞰で見ても、ひと際怪しげに光り輝いている。(雑誌『クロスビート』最終号/2013年11月号より/文=大久)
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 というワケでして、当方がただいま絶賛編纂作業中なのが、この春上梓予定の

書籍『グラム・ロック』。1年ほど前から企画を練っていたものですが、ルー・リードが亡くなったのを機に、あれよあれよと企画が通ってしまった、という経緯はともかく、とにかく形にすることになりました。そちらの詳細/宣伝は、本ができた頃にまた改めて。
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 本来当方のこのコラムは、先週、つまり年始にあたっての所信という形で濱田編集長のご挨拶と並んで掲載される予定でした。しかし、個人的には1年が終わってもなく、また始まってもいません。他人に説明するときには多少の見栄でデコレートして「あ、オレは24・7モードなので」とかナントカ答えるようにしているのですが、実際は年末年始はボロ雑巾のようにヨレヨレになる仕事づくし期間となります。「コレ、休み

の間にやっとけよ」という案件を多数抱えるのは例年のことですが、今年は更にその案件が重なっております。前述した『グラム・ロック本』もそのひとつです。2013年が始まってたのかどうかさえ、当方には判りません。ましてや2014年なんて。
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 「忙しい」を言い訳にする男はモテない、のだそうです。モテるかどうかなどと考えることさえなくなってしまった当方ですが、忙しいから、と言い訳して日々の泰平を優先することは、しないようにしています。
 以前インタビューにて、土屋昌巳氏は「結局ロックはカッコイイかどうか、それにつきるんです」と語ってくれました。秋間経夫氏も「カッコイイ音だけを求めてる」と語ってくれました。「カッコイイ音は売っ

てないから、自分で作るしかない」とも。
 そのお二方とは若干方向が違いますが、この「てりとりぃ」関係者にも(そんなに無茶して働くモチベーションは何なんスか?という当方の質問に)真顔で「ファンが喜ぶ姿を見るのが一番のモチベーション」という答えをした、超多忙な音楽ディレクターの方がいらっしゃいます。その数日後彼は実際に過労でブッ倒れ、救急車に乗っての素敵な東京ドライブを堪能したそうですが、それでもその3時間後には病院を抜け出し戦線に復帰した、という恐ろしい人でもあります。
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 「たくさんのモノに囲まれるより、ひとつのモノを見つめていたい」(しりあがり寿)。この言葉を当方に教えてくれたのは前述の土屋昌巳氏でしたが、ひと

つのモノを見つけられた人は、おそらく最強です。自分を守るために必死になり、沢山のアイテムで身を厚く包むひと。そういう人にも何らかの理由があるのでしょう。ただし、リスクを知りつつ自分を顧みずシンプルなテーゼに邁進する人にも、理由はある、ということです。得てして後者のタイプは、世俗的な意味で変わり者、と言われがちですが、当方は後者のタイプの人を尊敬しています。
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 その場に同席し、前述の音楽ディレクター氏の返答を聞き一緒に驚かされたカメラマン氏がいるのですが、後日彼とのお酒の席で「いやー、あんな完璧なカッコイイ答えされたらこっちはグウの音も出ないよね」と漏らした当方。まだまだ人間が出来てません。
(大久達朗=デザイナー)
*写真は、米MENATONE製の特注品ギター・エフェクター「PIG」。今から47年前にほんの僅かだけ製造された英MARSHALL製200Wアンプ「MAJOR」初期型(通称"PIG")の回路/音を忠実に再現したシミュレート・ペダル。よほどのミック・ロンソン・フリークにしかピンとこない、とてもニッチなこの特注品のオーダー主/日本販売元が、実は当方個人だっていう(笑)。



NHK-FM「今日は一日“昭和のコーラス・グループ”三昧」放送のお知らせ 

放送日時:2014年1月13日(月・祝)午後0時15分~10時45分 (途中、ニュース中断あり)

司会:濱田高志、鈴木啓之、岩槻里子(NHKアナウンサー)
ゲスト:和田誠 ライブゲスト:タイムファイヴ

歌謡曲、ジャズ、童謡唱歌、ポップス、フォーク、TV主題歌、CMソングなど、日本がどんどん成長していた時代には、常に心揺さぶるコーラス・グループ、そして、思い出に残る一曲がありました。デューク・エイセス、ダーク・ダックス、ボニー・ジャックス、日本が生んだ「三大コーラス・グループ」から、フォーク、ニュー・ミュージックのコーラス・グループまで、昭和の音楽シーンを彩ったコーラス・グループの名曲をお届けします。

番組紹介HP ⇒ http://www9.nhk.or.jp/zanmai/