2014年1月17日(金)

ウェルカム「わたしの上海バンスキング」
 

 「上海バンスキング」はオンシアター自由劇場の舞台で初演は79年。30年代の上海を背景に、奔放に生きるミュージシャンたちを描いた音楽劇の傑作。小劇場の演劇としては異例のロングラン公演となる。「月光価千金」や「ダイナ」など古きよきジャズソングが盛り込まれたサントラ・アルバムも好評を博し、スタジオ録音盤も出された。84年と88年の二度に亘って映画化もされている。なんとい

っても女優・吉田日出子の代表作であり、たっぷりと聴かせる歌唱シーンをはじめとする彼女の魅力によってリードされた舞台とおぼしい。
 週刊てりとりぃの読者で、実際に「上海バンスキング」の舞台を観た方はどれ位いらっしゃるだろうか。自分は残念ながら観劇の機会はなく、音楽アルバムを聴いたことがあるのみだが、もしかするとそういうスタンスの方が大半かもしれない。

そんな我々にとって、この本は格好の入門書と成り得る一冊である。なにしろ著者の明緒氏は90年代の終わりまで、この舞台のことを全く知らなかったと書かれている。世代的にも60~70年代の演劇文化とは無縁の筈。それがたまたま演出の串田和美氏と知り合い、縁あって妻となったことで、伝説の「上海バンスキング」に言及した書を著すに至るのだから、世の中はわからない。
 ともすれば敷居が高くなりがちな演劇の世界へと優しく誘ってくれるクロニクルが生まれたきっかけは、

16年ぶりの再演となった2010年のシアターコクーンで初めて舞台に接して撮影を担当したこと。その写真を見た、舞台に造詣の深い宇野亞喜良氏がアートディレクションを申し出て、書籍化を薦めたのだという。これまた幸福な出逢いであった。愛育社の伊東英夫社長の下、てりとりぃの濱田編集長が企画として参画、佐野裕哉氏によるブックデザインという布陣が整い具体化していった。明緒氏の文章は、本職が写真家であることを感じさせない程に明晰で惹き込まれる。独特の視点で綴られ、〝遅れてやって来た観客〟ならではの探究心に満ちており清々しくさえある。そこが演劇にそれほど詳しくない者にも読ませるツボであろう。
 さらに着目すべきは、串田氏とも吉田日出子とも古くから親交がある和田誠氏

が寄稿していること。つまりはイラストレーション界の重鎮である宇野亞喜良氏と和田誠氏のお二人が関わっている贅沢な本なのだ。そして和田氏の文章の最後にある、串田氏への謝辞の一節が「上海バンスキング」の価値を端的に表している。曰く、〝演劇とジャズとショウビジネスの融合〟を教えてくれた舞台であったという見解。これは同時に本書の存在意義の肯定であり、串田夫妻への激励とも思える。伝説を伝説のままで終わらせてしまうのはあまりにも惜しいという想いから誕生したであろうこの一冊から、ショウビジネスの魅力とエネルギーを享受して欲しい。
(鈴木啓之=アーカイヴァー)
●『わたしの上海バンスキング』写真・文=明緒/愛育社より発売中



連載コラム【ライヴ盤・イン・ジャパン】その8
歌謡曲の深度とバリエーション~ちあきなおみ~

 ちあきなおみは怖い人、というのが子供の頃に抱いた印象だった。それは凄みや畏怖のようなものに近く、自ら芸能に殉じようとしていた、そんな歌手にさえ思える。ほかにそういった印象を抱いた歌手は水原弘だろうか。
 ちあきなおみはコロムビアから3枚のライヴ盤を発表しているが、最初は71年5月25日に発売された『ちあきなおみ オン・ステージ﹄。日劇での収録だが、この段階ではまだ「ショー」の印象が強い。
 その2年半後、73年11月25日リリースの『ちあきなおみ ON STAGE』ではプレスリーの「フール・サッチ・アズ・アイ(ぼくはそんなお人よし)」やシャンソンの「メランコリー」から村田英雄の「無法松の一生」といった任侠演歌まで披露している。この

幅の広さこそが、歌謡曲歌手であることの証明なのだ。個人的にはヴォーカルのタッチが軽い「夜間飛行」や「雨に濡れた慕情」が、好きなパートだ。
 75年リリースの『ちあきなおみリサイタル』になると、さらにバリエーションが広がり、「船頭小唄」とシャルル・アズナブールの

「帰り来ぬ青春」(「帰らざる青春」に改題)と、ギリシャのナナ・ムスクーリの「ヴァ・モナミ・ヴァ」と浅川マキの「かもめ」が並列に歌われ、何でも飲み込んでしまう「歌謡曲」の凄みを1人で体現している。布施明の「そっとおやすみ」でカーペンターズの「遥かなる影」のイントロを使用

するセンスもいい。後年ファドやビリー・ホリデイを歌いこなす彼女のスタイルは既にステージにあった。もし「歌謡曲って何?」と訊かれることがあったら、この盤をおすすめする。ジャンルの幅広さと歌手としての懐の深さは、まごうことなき歌謡曲だ。
 ちなみにこの2枚の盤は、終盤の2曲がどちらも、ステージ用に作られたバラードをはさんで「劇場」~「喝采」という流れである。「劇場」はご存知「喝采」の次のシングルで、ドサ回りの前座歌手が主人公の異色作だった。この「劇場」が子供心にも「なんだかおっかない曲」だったのだ。「喝采」はスター歌手がかつての恋人の訃報を知らされ、それでも歌い続けていく、といった私小説的なコンセプトで作られているが、むしろ「劇場」のほうがち

あき自身の私小説に近いのではなかろうか。実際にちあきもキャバレー回りや前座歌手として活動していた時期があるのだから。物語の流れも「劇場」~「喝采」の順なのだ。
 2枚の盤でその「劇場」~「喝采」を聴き比べると、1年の間に歌唱法が格段にドラマチックに変貌してい

ることがわかる。「喝采」はどちらもイントロなしにスローな歌い出しだが、後者の歌唱法は仰々しさすら感じさせる。また後者の「劇場」では感情を込めすぎたのか、曲の終盤で感極まって声がブレている。この憑依型の歌唱スタイルこそ、冒頭に書いた「畏怖の念」に相当するもので、77

年の紅白で歌われた「夜へ急ぐ人」で突き抜けてしまった。NHK・BSなどで放送されていたのでステージの模様を観る機会も多かったが、むしろ音だけのほうが、想像が膨らむせいで怖さがつのる。聴いているこちらまで憑依されてしまうかのように。
(馬飼野元宏=「映画秘宝」編集部)
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■写真上『ちあきなおみ ON STAGE』73年9月1日/渋谷公会堂での実況録音盤。バックは永尾公弘とザ・ダーツ+ストリングス。
■写真下『ちあきなおみ リサイタル』74年10月22日/中野サンプラザ・ホールでの実況録音盤。編曲と指揮は宮川泰。伴奏に高橋達也と東京ユニオンWITHストリングス。



ウスターソース
 

 昨年末、大阪に転勤した旧友と久しぶりに銀座で飲んだ。彼が最近凝っている物として話題にしたのが、調味料である。様々な調味料を買って試していると言うのだ。確かに最近「YUZUSCO」や「かぼすこ」などの新しい調味料が話題になっているが、彼が気に入っているのはウスターソースという従来の物。中でも、イカリソースが絶品らしい。キャベツの千切り、

フライ、とんかつは当たり前として、ご飯にもかけて食べるという。確かに戦前、ソースライスというものが珍重されたらしいが、そこまでするほど美味いかと、その時は一笑に付した。
 しかし、家に帰ってから妙にウスターソースの事が気になった。まず、我が家には現在、ソースは何一つ無い。それはおろか、ここ10年以上使っていない事に気が付いた。昔ソースと言

えば「ウスター」「中濃」「とんかつ」と3種類あり、万能タイプの「中濃」は家庭に常備されていた。子供の頃は、フライや揚げ物、付け合わせのキャベツには必ずソースをかけていたが、いつの頃か、タルタルソースや醤油等が幅を利かし、野菜にはドレッシングと、いわゆるソースはとんかつでも無い限り、使われない状況になっていった。しかも、個人的にはとんかつであっても、醤油かポン酢で大根おろしをかけて食べるのを常としてきたため、ソースが食卓から完全に消えた形になっていたのである。
 だが、彼の調味料にかける情熱を聞いていたら、無性にウスターソースを使いたくなってきた。しかし、関西が本場のイカリソースは通常のスーパーではまったく置いていない。それでも、気になってしょうがな

いので、本場英国では97%という驚異的なシェアを誇る老舗リーペリン・ウスターソースを久々購入してみた。さっそく、あつあつのコロッケにつけて食してみると、美味い。なんという不覚か、完全にこの味覚を忘れていた。甘辛くかつ酸味のある独特のスパイシーな味は料理の旨みをグイグイと引き出してくれる。
 ブルドックソースとイカリソースが出した「ソースの本」という冊子があるが、これによるとソースはヘルシーな調味料と書いてある。ソースは酢の占める割合が30%を占め、揚げ物の油分を和らげる効果がある。中に入っているスパイスにも、食欲を増進する効果があるとのこと。健康にも良いのだ、ソースは。今年は、ちょっとソースを究めてみたいと思うそんな昨今である。
(星 健一=会社員)