2014年1月24日(金)

2013年、耳で選んだマンガベストテン
 

 本紙でマンガ家の声が録音されたレコードの文章を、ずっと書いています。日々どうしてもマンガと音楽が切り離せない性癖をもって振り返る、2013年の「マンガと音楽の混合」ベストテンの発表で、遅ればせながら新年のご挨拶とさせていただきます。
●1位 やなせたかし逝去。歌手としてのやなせ先生には、デビュー以来、常に注目してきたのでとても寂しい。ご冥福をお祈りします。
●2位 ガチャポン玩具に、楳図かずおフィギュアがラインナップ。最新曲『新宿烏』衣装バージョンが激シ

ブ。
●3位 西村ツチカ、金子朝一らのバンド「トーベヤンソンニューヨーク」の初音盤『ロシアンブルー』発売。彼らが参加する「ジオラマブックス」主催の「ジオラマミュージックフェア」も大成功。
●4位 フラワーカンパニーズのベスト盤『新・フラ

カン入門』発売。石森章太郎「マンガ家入門」を模したベスト盤『フラカン入門』の発表後、まさか「新」までなぞるとは。マンガ家ジャケでは他に、清竜人「KIYOSHI RYUJIN」の立原あゆみや、ももいろクローバーZのDVDの原哲夫も印象的だった。
●5位 ヤートーイが、今

時シートレコードで『となえるよ』をリリース、こちらのジャケはさべあのま。さべあのまは高野文子とともに「さぶん市」というお店ごっこ形式の展示を吉祥寺で催し、僕はこのレコードにサインをいただきました。
●6位 ロバート・クラムが、SPマニア向けトーキングアルバム『チンピン・ザ・ブルース』発表。まだまだプレイヤーとしても健在。
●7位 ついに『サザエさん音楽大全』発売。
●8位 マンガ家の山田参助のバンド「泊」が、音楽

映像集『みずぶね』発表。コミックビーム連載「あれよ星屑」も、イイ感じに展開。
●9位 田口史人さんに誘われ「円盤寄席」出演。3時間にわたりマンガ家のアナログレコードを語りまくる、未曾有のイベントとなりました。ご来場感謝します。
●10位 池袋西武ギャラリーで諸星大二郎展を観て、会場から出たとこでギターを持った吾妻ひでおとすれ違った!ニューウェーブ、フォーエヴァー!
(足立守正=マンガ愛好家)



連載コラム【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その7
ジャズ・ギターの幕を開けたチャーリー・クリスチャン

 ベニー・グッドマンが起用した黒人ミュージシャンのなかでチャーリー・クリスチャンの存在感は際立っていた。彼は世界初のエレクトリック・ギター(ギブソンESー150)とアンプ(同EHー150)を駆使して、ジャズでは単にリズム楽器だったギターで、まるでサックスのような主役の演奏をやってのけた。
 それまでも20年代にはエディー・ラングがソロのフレーズを弾いているし、エレクトリック・ギターはエディー・ダラム、レナード・ウェアが先に使用していた。しかしクリスチャンがジャズ・ギターのパイオニアと言われるのは、その多彩なプレイが楽団をリード出来るほど魅力的だったからだ。
 39年8月、クリスチャンの才能に惚れ込んだプロデューサーのジョン・ハモン

ドはグッドマンと引き合わせようとした。しかしギターを重要な楽器とは考えていなかったグッドマンは興味を示さなかった。そこでハモンドはグッドマンがレストランで演奏する際、こっそりとバンドにクリスチャンを紛れ込ませる。演奏がはじまってもグッドマンは見知らぬギタリストを気にも留めなかったが、彼の

ソロがはじまるとその演奏に魅せられた。当初3分間の予定だった演奏曲「ローズ・ルーム」はクリスチャンの即興で40分も続いたという。晴れてクリスチャンはグッドマン楽団に入り、衝撃的なソロ、独創的なバッキングを披露した。
 彼のプレイは共演するミュージシャンに大きな影響を与えた。その様子は41年

に録音された「ウェイティング・フォー・ベニー」で窺える。この曲はグッドマンがスタジオに到着する前の練習模様を記録したテイクで、早いテンポで叩くドラムにあわせて、クリスチャンがクロマチックなフレーズで指慣らしをしているところからはじまる。それに合わせてトランペットがリフレインを軽く吹くとクリスチャンがまた応えて同じリフを弾く。さらにピアノやサックスも加わり熱い演奏がはじまったのだ。
 これはこの直後に録音されたグッドマンとの「ア・スムース・ワン」のリフを演奏したものだが、その本番のテイクより倍くらい早いテンポで、まったく違う曲のように勢いがある。グッドマン不在のなか、気兼ねなく演奏するクリスチャンにみんなが引き込まれていくのがよくわかる。

 彼はグッドマン楽団の演奏のかたわら、ビーバップの発祥といわれるミントンズ・プレイハウスでも演奏をしている。そこでは誰にも遠慮せず自由にプレイしていたようで41年の「ストンピン・アット・ザ・サヴォイ」では長尺のフリーキーなギター・ソロを聴くことができる。このセロニアス・モンクらとの演奏でビ

ーバップの幕が開いたのだ。
 残念ながらクリスチャンは、結核を患いながら摂生しなかったため、42年に25歳の若さで他界した。たった3年間の活躍で、その後のギタリストのあり方までをも変えてしまった彼のプレイをリーダー・セッションでもっと聴きたかった。
(古田直=中古レコード店「ダックスープ」店主)
●写真上『チャーリー・クリスチャン・ウィズ・ベニー・グッドマン』クリスチャンの名を知らしめた39~41年のBGセクステットの名演集。これなくしてはジャズ・ギターは語れない。 ●写真下『ジャズ・イモータル』ソロを弾きまくった伝説的なミントンズ・プレイハウスの演奏を収めた10インチLP。クレジットがCHARLEYになっているのは権利の問題だろうか。



池袋西口の夜。
 

 池袋の西口を出て少し歩く、風俗街を抜けて、韓国色をした商店街も抜ける。少し寂しい、そんなところでぼくはお店をやっている。細いドアが5つ並んだビルの一階。週末しか開かないお店。簡単なお酒と軽い乾きものしか出さないお店。レコードを聴くためのお店。この日もぼくの好きなレコードばかりかけていた。「あれ。これって日本の曲のカバー?」と、お店にいたいちかたいとしまささんが聞いてきた。そのときかけていたのは、インドネシアの民謡だった。アヤム・デン・ラペ、という曲。「この曲って昔からある曲?似てるんだよなあ。っていうか同じなんだよ。ほら、GSのあの有名な曲」。
 そのときは何の曲かわからなかった。すると後日、その曲を持ってお店に来てくれた。お店のミキサーに

アイポッドを繋げて聞いてみるとたしかに似ている。最初は似ていないがサビだけがそっくりだった。それはジャガーズの「君に会いたい」だった。
 「もしかすると故意にパクったんじゃなくて、この頃ならインドネシアの音楽が日本に入っててもおかしくないから知らず知らずのうちに聞いてて、で、似てきちゃったんだろうなあ」。
 たしかではないが、音楽を聞いて想像するのは楽し

い。たぶん、きっと、そんな風に妄想は膨らんでいく。
 インドネシアだけでもいくつもの民族があって、その民族の中でも音楽が違う。ハワイとタヒチの交流のように何千キロも離れていたって船での交流がある。それと同じようにハワイとインドネシアの交流があってもおかしくない。インドネシアのマルクという島の民謡はハワイアンに似ている。きっとハワイとの交流があったのだろう、とレコードを聴きながら想像する。ウクレレだって、ジャワには世界最古のポップス、クロンチョンを演奏するときに

はオランダから来たウクレレに似た楽器、ギタレレを使う。これももしかしたらインドネシアからハワイに渡ったのかもしれない。それと同じように沖縄音楽はインドネシアのスンダの民謡やバリの民謡にも似ている。沖縄でもとくに宮古島の民謡はそっくりだった。沖縄とインドネシアの交流があってもおかしくない。中国の洛川県には伝統的な影絵がある。そこの音楽もインドネシアのワヤンという影絵に似ている。最近、インドネシアのスラバヤに歌舞伎とそっくりな文化がある、という噂も聞いた。何がオリジナルでどこから流れてきたのかよくわからなくなってしまうが、こうやってレコードを聴きながら想像するのはなんだか冒険をしているようで楽しくて飽きることがない。
(馬場正道=渉猟家)