てりとりぃ放送局アーカイヴ(2014年3月21日〜4月4日分)

 「スタジアム・ロック」という言葉が使われたのは1980年代中盤でした。デカい球場で音楽をやることに批判的なアーティスト側からの発言でよく使われたのですが、そもそもスタジアムのために書かれた楽曲などこの世に1曲たりと存在していません。こんにちそのことをよく示しているのがプロディジーかも、なんて思いつきまして、今回はプロディジーのライヴ映像特集です。プロディジーはクラブ・ミュージック・シーンから登場した奇才集団ですが、今や世界で最も人を集めるバンドであることはご承知のとおり。今これを出来るアクトがプロディジーしかいない、という点も見逃せません。(2014年3月21日更新分/選・文=大久)


The Prodigy / Firestarter (1997)

 大ヒット作『FAT OF THE LAND』発売の後に、プロディジーはロシアのモスクワ「赤の広場」でライヴをやっています。この日集まった客は一説には20万人、と言われています(でも20万人を正確にカウントする方法が果たしてあるのでしょうか?)。どうでもいい話ですが、イントロで流れるセリフは、ジャッキー・チェンの映画「酔拳」の英語吹き替え版で流れる「お師匠さん」の声、そしてこの曲のワウ・ギターのフレーズは4ADのギター・バンド、ブリーダーズの音源からのサンプリングです。

The Prodigy / Breathe (2009)

 09年、アイルランドでのフェスの模様です。この模様はライヴDVD「WORLD'S ON FIRE」に収録されていますが、公式にYOUTUBEにもアップされています。プロディジーがロックかどうかはこの際置いとくとして、1人のPCオペレーター、2人のフロントアジテーター、そして2人のアテフリ演奏家(そう、ギターとドラムの2人は、演奏はしつつもその音は殆ど会場には流れていません)だけで、10万人の観客を熱狂させるわけです。文字通り、会場は揺れています。

The Prodigy / Smack My Bitch Up (2009)

 まあプロディジーの楽曲はいつもそうなのですが、堂々とタイトルや歌詞に言及することが倫理的にかなり難しい(笑)ものばかりでして、こちらの曲はタイトルもPVも当然のように世界中で放送禁止に。ですが英国のみならず欧州各国で必ず1位になってしまうという。動画はドイツのロック・フェス「ROCK AM RING」でのライヴ。13万人が集まったと言われています。この曲でいつもフロントマンのキース・フリントは客席の中で客を煽ります。余談ですがキース・フリントは大の親日家で、タトゥーは日本製。奥さんも(DJ GEDO SUER MEGA BITCHというステージネームをもつ)日本人です。

The Prodigy / Invaders Must Die (2009)

 09年グラストンベリー・フェスでのライヴ。3日間で20万人が来場、とのことなので、この会場には7万人くらいいるという計算になるでしょうか。いずれにしろ、日本ではほぼ開催が不可能なコンサートですね(奇麗に椅子が並べられた日産スタジアムに6万人集めるのとは、ワケが違います)。第一プロディジーのライヴは壮絶な爆音で、激しすぎる照明のためにステージ上のアーティストなんて見えやしません(笑)。客席は皆発煙筒炊きまくりますし、モッシュ&ダイブの嵐、ですし。

The Prodigy / Omen (2009)

 そうなんです。ライヴとかいいつつも、ステージの上のパフォーマンスなんて客席からは見えないし、演奏はオケ流すだけだし、パフォーマーはガナリ立てるだけだし。お行儀の良い音楽ファンからは手厳しいご意見をいただくことになりそうですが、彼らのライヴの何が素晴らしいかは、客席にいる数十万人のランランと輝く目が証明していますね。動画は09年、ワイト島フェスでのライヴ映像。



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 先日、アメリカ上陸50年を迎えたビートルズですが、今年はビートルズの未発表アルバム『GET BACK』の海賊盤が蔓延りはじめてから45周年でもあります。ビートルズの海賊盤が面白いのは、圧倒的な流出音源の量もさることながら、別人の曲を未発表曲だと偽ったり、正規音源を加工して別テイクを捏造したりというインチキ商法が盛んであったことです。これらの音源は「アウトテイク」をもじってアウトフェイク(Outfake)と呼ばれていますが、そこは腐ってもビートルズ。流出音源の真偽を見極めることで、ファンたちの研究を促してきたという歴史がありました。CD時代の到来と情報化社会の発達もあり、音質の悪い怪しげな音源は次々と淘汰されていきましたが、偽物のクセにその魅力はいまだ衰えず、動画サイトにひっそりとアップロードされては初心者を罠にかけています。今回はこれらの音源を、素性の明らかなもの、真偽不明のもの取り混ぜて紹介してみたいと思います。(2014年3月28日更新分/選・文=真鍋)


The Fut / Have You Heard The Word?

 オノ・ヨーコがジョンの曲として著作権登録してしまったという伝説を持つ、海賊盤界・名曲中の名曲。結局ここ15年ほどの調べにより、酒入りのお遊びセッションがなにかの間違いでリリースされたもので、ジョンとされていたヴォーカルはビー・ジーズのモーリス・ギブによるモノマネであることが判明しました。初出時の音の悪さもまた真偽の判別をより困難なものにしていたのですが、なんと正規盤としてCD化されていました。

The Wackers / Oh My Love

 ジョン・レノンの71年のアルバム『イマジン』に収録された曲ですが、作曲の時期は1968年なので、ボツになったビートルズ・バージョンが存在していてもおかしくないじゃないか、という理屈です。実際はカナダのバンド、ザ・ワッカーズによるカヴァーで、これまた2005年に正規発売されています。クリアな音で聴くと明らかに別人だとわかるのですが、いかにも隠し録りのような音質で収録された海賊音源には、妙な説得力がありました。

The Beatles? / Glass Onion (Unedited Mono Mix?)

 『ホワイト・アルバム』収録「グラス・オニオン」の未編集ロング・バージョン、と聞くと騙されてしまいそうですが、よく聴くと正規テイクにはないイントロと間奏、そしてサイケなエンディングが足してあるだけです。その後、公式の未発表音源集『アンソロジー3』にこの曲の本当のアウトテイク(ラフミックス)が収録されましたが、それとも決して聴き劣りしない出来だったことがこのアウトフェイクの完成度を物語っています。


The Beatles with ? / Every Little Thing (Monitor Mix?)

 同じくこちらも正規音源を加工して別テイクと偽った音源ですが、その出来栄えは雲泥の差。正規音源の上にギターを重ねただけというお粗末なものです。今では箸にも棒にもかからないものですが、アナログ時代の海賊盤はAMラジオのエアチェック音源など音質の良いものは少なく、この程度の音質ならば違和感なく紛れてしまっていました。なお、同じ人物によって録音されたと思しき「Honey Don't」のアウトフェイクも存在しています。

John Lennon? / Peace of Mind (The Candle Burns)

 アップル社のゴミ箱から発見されたというデモテープより。LSDを匂わせるサイケな歌詞から67年ごろのジョンの録音では、と言われています。「同時期のジョンのデモテープにこれと同じ奏法が聴かれる(だから本物だ)」「いや、これはシド・バレットのデモに違いない(だから偽物だ)」など、これまで様々な見解が示されましたが、どれも決め手にはならず。じゃあ結局誰なんだよという話で、今なお不気味な輝きを放っている1曲であります。

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 英国ポップチャートの1位を獲得した曲で演奏した最年少のギタリスト、という肩書きがあるそうですが、その肩書きは彼を指す場合にしか使われていないようです。今回の特集は若くして成功し、若くしてこの世をさったジミー・マッカロックというスコットランド出身のギタリストのキャリアをおさらいしてみました。童顔でたれ目、アイドルとしての人気も高かった彼ですが、演奏はそりゃあもう最高です。(2014年4月4日更新分/選・文=大久)


Thunderclap Newman / Something In The Air (1969)

 69年6月に英チャートで1位を獲得したサンダークラップ・ニューマン。プロデュースはTHE WHOのピート・タウンゼンドですが、結果的にはこの1曲の一発屋として有名になったグループです。ジミー・マッカロック当時15歳でした。んー、お若い。

Stone The Crows / On The Highway (1972)

 その後セッション・ギタリストとして多くの録音物に参加したマッカロックですが、72年にストーン・ザ・クロウズというブルース・ロック・バンドに参加します。当時英国NO.1ブルース・シンガーだったマギー・ベルをフロントに据えたバンドでしたが、初代ギタリストがステージ上で感電死するという悲劇があり、その後釜として彼に白羽の矢が立ってのことでした。
Paul McCartney & Wings / Venus & Mars-Rockshow-Jet (1976)

 おそらく世界中で最もジミー・マッカロックの勇姿が人目に触れることになったのは、このライヴだと思われます。ポールの弟マイク・マクギアの作品に参加した彼は、それが縁となり74年にウイングスにリード・ギタリストとして参加。このバンドにより強烈なロック色を与えてくれました。余談ですが、ウイングスには初期にヘンリー・マッカローというアイルランド出身のギタリストがいましたが、もちろんジミーとは関係ありません。
Small Faces / Stand By Me (1978)

 それにしても、どうもジミー・マッカロックの場合はひとつのバンドに定着するというのが不得手だった模様です。ウイングスを脱退し、またセッションマンに戻るのですが、そんな中最も知られているのが、再結成したスモール・フェイセスへの参加でした。スティーヴ・マリオットの場合(ハンブル・パイでピーター・フランプトンやクレム・クレムソンを必要としたように)ギターは他の人に任せた方がいい結果になるんですよね。
The Dukes / Heartbreaker (1978)

 78年、ついに自分のバンド「THE DUKES」を結成したジミー・マッカロック。でもこんなハードロックはあんま彼に似合ってないと思うんですけどね。そして残念ながらこの曲が彼の最後の録音物となりました。79年9月、ヘロインの過剰摂取からくる心臓発作で彼は急逝します。まだ26歳という若さでした。


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