2014年8月29日(金)

特集「Le monde enchanté de Jacques Demy」
ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑[1]

 今週より数週にわたって「ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑」に絡めた記事を掲載する。これは昨年、本国シネマテーク・フランセーズで開催された展覧会の巡回展で、彼の地での様子は本誌でも四回に分けてレポートを掲載した。ご興味のある方はバックナンバー(昨年の5月10日号、同17日号、同24日号、6月21日号に掲載)を参照のほど。
 そして第一回の今週は、東京国立近代美術館フィルムセンターの主任研究員である岡田秀則さんによる展覧会の概要と見所について。また、本誌読者のために招待券もご用意頂いた。希望者は件名を「ドゥミ展」、そして本誌の感想・リクエストを添えてこちらまでメールでご応募下さい。〆切は今月末日、抽選で五組十名にプレゼントします。
(文=編集部)


特集「Le monde enchanté de Jacques Demy」
ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑 概要

 いよいよ八月二八日から展覧会「ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑」が始まる。ひとかたならぬドゥミ映画やミシェル・ルグランのファンを擁する「週刊てりとりぃ」のご依頼にやや緊張を感じつつ、この展

覧会のアウトラインや見所を述べてみたい。
 この企画は、昨年パリのシネマテーク・フランセーズで開催された「フル・バージョン」の面積にして約四分の一の「小規模版」ながら、フィルムセンターが

長く友好関係を保ってきたシネマテークからの巡回展である。フィルムセンターの展示担当になって七年になるが、正直なところ展覧会という形式で『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』の昂揚感を伝えられるか、心もとない。またそれとは別に日本ではまだ「映画の展覧会」という形式自体がこれからの分野だと思っている。それだけにこのような国際水準の企画を招くことには少なからぬ意義があった。
 シネマテークが、監督夫人アニエス・ヴァルダやドゥミ家と綿密に話し合ったであろう展覧会のコンセプトは、彼の生涯をたどる形で入念に作られている。全体は時系列で五つの章に分かれており、さらにドゥミ本人の写真・絵画を紹介する「ドゥミの世界」を合わせると六章からなる。生い

立ちから短篇映画の時代、デビュー作の『ローラ』から一九九〇年の死去までに撮られた一本一本の作品を丁寧に追っており、決して代表作の華やかさだけで全体を覆い尽くすものではない。特に『モン・パリ』以降企画がなかなか実現しなかった、かりに実現しても賞賛されなかった苦闘の時期にもしっかりフォーカスを当てているのが印象的だ。残念ながら、フランスからの提供品は資料類に限定し、パリ展で会場をきらびやかに飾っていた衣裳など大型品の展示は見送らざるを得なかった。その分、恐らく世界一のドゥミ資料の蒐集家であろう濱田高志氏の所蔵資料をお借りして、ドゥミ映画のエッセンスを会場にできる限り満たすよう努めた。さらに、同氏の選曲によるドゥミ映画の名曲を会場で紹介できるのも東京

展ならではの試みである。
 さて、東京でジャック・ドゥミ展をできないかと批評家でもあるシネマテークの展覧会担当マチュー・オルレアン氏から打診されたのは、パリ開催の前年、二〇一二年のことだ。最初から日本巡回は彼らの心のうちにあったのだ。彼はその理由を二つ挙げた。まずは、ドゥミ自身にとって日本が特別な国であること。もう一つは、二〇〇〇年のリバイバル以来『シェルブールの雨傘』と『ロシュフォー

ルの恋人たち』(のちに『ロバと王女』も加わる)の上映が成功を収めたことである。これを聞いてフィルムセンターは、東京展のコンセプトの中で「日本におけるドゥミ」の色あいを高めたいという注文を出した。それは何よりも、日本発の企画『ベルサイユのばら』(一九七八年製作、翌年公開)である。公開当時の日本では、大ブームの原作や演劇版との落差ばかりが語られたが、ドゥミにとっては(かなり奇妙な申し

出には思えただろうが)失意の時期に差し伸べられたミラクルな提案であっただろう。この映画の実現は、フランスでは「過去の人」にされようとしていたドゥミが、日本の観客には『シェルブールの雨傘』以来敬意の対象であり続けていたことの証明である。このことと、21世紀日本の『ロシュフォールの恋人たち』への熱狂を遠くから見つめていたフランス映画界の視線がこのドゥミ展につながったという事実は、私にはパラレルな気がしてならない。
 そして出口近くには、ドゥミ作品の日本版ポスターのコーナーも設けている。上村一夫によるリバイバル版『シェルブールの雨傘』のポスター(一九七三年)など、むしろフランス人に見てほしい一品だ。日本の漫画とドゥミ作品の出会いは、実は『ベルサイユのば

ら』の前にもあったわけだ。
 展覧会の関連企画として、九月二七日にマチュー・オルレアン氏をお招きして『ベルサイユのばら』特別上映会を行うほか、同氏や濱田氏などによる三回のトーク・イベントを催すことになっている。また同じ九月には、アンスティチュ・フランセ東京での上映会「ジャック・ドゥミ、映画の夢」も予定されている。二〇〇七年に一度大がかりな上映企画を行った同館だが、今回も日本でなかなか上映されない作品が多く含まれており、『モデル・ショップ』や『都会のひと部屋』など、周知の代表作とタッチの違う、まさに自分の殻を破ろうとする作家ドゥミに触れられる絶好の機会になるだろう。
(岡田秀則=東京国立近代美術館フィルムセンター主任研究員)
Photo:上から『シェルブールの雨傘』撮影中のドヌーヴとドゥミ監督© 1993 – Ciné-tamaris、フィルムセンター外観


企画展『ジャック・ドゥミ映画/音楽の魅惑』

会場:東京国立近代美術館フィルムセンター展示室(企画展)
会期:2014年8月28日(木)〜12月14日(日)
詳細⇒http://www.momat.go.jp/FC/demy/index.html

特集上映『ジャック・ドゥミ、映画の夢』
会場:アンスティチュ・フランセ東京
会期:2014年9月13日(土)〜9月26日(金)
詳細⇒http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1409130926/



スタジオの怪談


 放送局では、ときどき怪談めいた話を耳にする。なんでも、姿形が見えないのに何らかのメッセージを伝えようとしている点で、電波と霊は親和性が高いのだとか。測定可能な物理現象の電波と、正体不明の霊を

同列に論じるのもどうかと思うが、それ故に、放送局に霊が引き寄せられるらしい。
 あるとき、深夜放送明けの先輩ディレクターから、こんな話を聞かされた。前夜の生本番中、原稿を読ん

でいたアナウンサーが突然、読みを中断し、こちらを振り向いた。読み違えたり、難しい言葉につかえたわけでもない。先輩は手振りで先を続けるよう促し、原稿読みは終了、CMに入った。どうして途中で読むのを止めたのかと尋ねると、アナウンサーはこう答えた。「『違う』って言っただろ」
 この番組は、副調整室とブースがガラスで仕切られた通常のスタジオではなく、広い副調整室の窓際に机とマイクを置き、同じ室内で放送していた。ディレクターはトークバックを使わず、直接、肉声で指示を飛ばす。しかし、アナウンサーの対面に座っていたアシスタントの女性を含め、ほかには誰も、そんな声を聞いた者はいなかった。もうひとつ、おかしなことがあった。担当アナウンサーは、かつてスポーツ中継なども経験し

たベテランで、普段、長丁場の生放送では、トイレや体調急変を避けるため、水分を控えている。それが、この夜に限って喉が渇いて仕方がなく、何杯も水を飲んでいたらしい。
 わたしは、この深夜番組内の「星占い」のコーナーを担当していた。監修者のKさんは、関西の占星術界の権威と言われた女性で、録音のときに「別のスタジオにしていただけませんか。あちらのピアノのそばに子供がいますので」などとおっしゃることもあった。先輩の話を伝えたところ、興味を惹かれた様子で、そのスタジオを見せて欲しいと言われた。ひとしきりスタジオ内を検分したあと、その日は、何も語らずお帰りになった。
 数日後、Kさんから番組プロデューサーに連絡があった。しばらく前、欧州で

日本人が巻き込まれる航空機事故があったのだが、その事故で亡くなったカップルの霊がスタジオに憑いているという。カップルは関西出身で、ひとりは双子座生まれ(もうひとりの星座は失念)。じつは番組アシスタントの女性が、事故の直後に同じ空港を訪れていて、そのとき、現場で彷徨っていた2人を日本に連れ帰ってきたとのことだった。占星術では、霊は同じ星座の人に働きかけ、メッセージを伝えようとするらしい。たしかに件の番組関係者は、ディレクターとアナウンサーが双子座、アシスタントが忘れてしまった星座と、皆、カップルのどちらかと同じだった。
 ほんとうに、そんなカップルがいたかどうかは知らない。しかし、その説明を聞いて、ひとつ思い当たることがあった。当時、担当

していた別の番組でも問題のスタジオを使っていたのだが、妙な出来事があったのだ。テープを再生しようと調整卓のスイッチを押したが、テレコは止まったまま。慌てて2、3歩近づいたとき、急に動き出した。直前にテープの頭出しとテンションを確認したので、不思議で仕方なかった。そして、もうお気づきかと思うが、わたしも双子座の生まれなのだ。
 後日、プロデューサーの依頼を受けたKさんは、水晶球を手にひとりスタジオに籠り、儀式を行った。そのあと、おかしな噂を聞くことはなくなった。
(吉住公男=ラジオ番組制作)
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●写真 スペシャルズ「ゴースト・タウン」(81年)※本文と直接の関係はありません。



おじさん世代にCDを買い続けさせるレコード会社の戦略


 CD冬の時代にCDを買い続けるのは、私のような60年代、70年代のロック&ポップ・ミュージックを愛する「おじさん世代」だろう。少々高い値段でも、小金は持っているので、未発表音源など入っていれば何度も買い直してしまう。レコード会社には有難いお客様である。主なターゲットは、売り上げが期待できるメジャーのリイシューに付加価値を付けておじさん世代の懐を吐き出させることだ(通常のボーナストラック付CDと、邦楽は省略)。
 狙いは①スーパー・デラックス・エディション②モノ&ステレオ③幻の音源蔵出し④日本盤のみボーナストラック⑤ダウンロード⑥通販オンリーの6つにカテゴライズされる。
 まず一番悩まされるのが①だ。アルバム単位でリリースされるが、アルバムと

未発表音源もしくはライブ、未DVD化のライブ映像も入り嬉しいのだが、しばしばLPもプラスされみな分厚いLPサイズになり、保管場所に頭を悩ます。5・1サラウンド・ブルーレイ・オーディオとLPは別売にして欲しいのは自分だけ? 現在、フー、ポール・マッカートニー、ローリング・ストーズという超大物が進めていて、どこまで出るのか若干困ったような気分だ。
 レッド・ツェッペリンだけはCD2枚のデラックス・エディションで全音源が聴け、「スーパー…」には映像がなくプラスLP他なので買わずに済みグッド!
 ②はCD2枚もしくは1枚が主役なのでリーズナブル。モノ盤が出ていた1968年まではモノとステレオでは別ミックス・別テイク、尺も長いものがあり嬉

しい発見が多い。ビーチ・ボーイズ、キンクス(「キンクス・イン・モノ」というモノだけのボックスもあり、オーストラリア盤の「オーストラリア」は本ボックスのみ)、スモール・フェイセス、ホリーズ、ラスカルズ、フー、モンキー

ズなど進めていて、アソシエイションのようなモノ別売リリースもある。
 最も肝心なビートルズだが、UKとUSで編集が違ううえ、それぞれのモノとステレオにも違いがあるので4パターン必要になる。UKのモノはボックスでシ

ングル・EP曲も含めて出たが、US盤はそれ自体のCD化がされていなかったため「ザUSアルバムズ」でモノ、ステレオは完璧かと思いきや、当時のミックスを使っていないものあり、当時のままの古い「ザ・キャピトル・アルバムズ」が手離せなくなった。EMIと違ってキャピトルは大失策。
 ③は近いところではCSNYのオクラ入りだった「CSNY1974」がCD3、DVD1で嬉しいリリース。そしてこれも長く予告されていたスモール・フェイセスの「ヒア・カムズ・ザ・ナイス・ジ・イメディエイト・イヤーズ・ボックス・セット1967〜1969」はCD4+EP4。どちらにも未発表音源がありマストバイ。ニール・ヤングの『ニール・ヤング・アーカイブスVol1

1963〜1972』もCD8、DVD2の力作だが、隠しトラックが多く、画面上のありとあらゆるものをクリックしないと出てこないので面倒な事この上ない。ニール先生、やり過ぎだ…。バッファロー・スプリングフィールドはコンパクトで良かったのに。
 古くはジョン・レノンを

中心にキンクス、フー、S&Gなども出しており、ポップス系では未発表とは言えないがベア・ファミリーがニール・セダカのRCA時代の全ての国のヴァージョンをCD8枚に収め、アンディー・ウィリアムスも日本盤のボックス1で日本語ヴァージョンなど集めたディスクを作り、財布の紐

を開けさせることに成功した。ただ③のチャンピオンはビーチ・ボーイズの「ザ・スマイル・セッションズ」にとどめを刺す。CD5、LP2、シングル2だが、正真正銘の幻の音源で、よく出してくれたものだ。
 ④の主眼はローリング・ストーンズ。デッカ時代のモノ化がまったく進んでおらずおまけにヒット曲入りのUS編集盤がメイン。①はローリング・ストーンズ・レーベルのものだが、そこで出した「シングルス・ボックス1971〜2006」もシングル・ヴァージョンじゃなかったりエディットが入ったりずさん。デッカ時代の「シングル・コレクションズ〜ザ・ロンドン・イヤーズ」や「モア・ホット・ロックス」のようなベストも、リイシューの度に別テイクが入ったり正規シングル・ヴァージョン

が入ったりで困る。そして本題の日本盤だが、「ストリップド」から1曲多く付けだした。この盤でしか聴けないものもあるので輸入盤を先に買うのは気を付けること。最近では「サム・ガールズ」のデラックス・エディションも(スーパー…も含む)日本盤は未収録1曲多かった。そして究極は「サム・ガールズ・ライブ・イン・テキサス78」で日本盤は1曲多い上に、応募券にCD実費を送るとさらに3曲入りCDが送られてきて完全版となる仕組み。マディー・ウォータースとの共演も日本盤のみ完全版である。
 ポール・マッカートニーも日本で「フラワーズ・イン・ザ・ダート」と「オフ・ザ・グラウンド」にボーナスディスクを付け、その後も「ケイオス…」「ニュー」に日本盤のみ1曲プラ

スした。
 ブライアン・ウィルソンの過去のライブ盤は日本盤で5曲、2曲と多く、ディズニーからの2枚もiTunesのみの曲を加え計3曲多い。マニアック度で群を抜いている日本盤のフーは、リイシューの度に曲が増えたり別ミックスになったりしているのでこれまた注意。詳しくはウェブVANDAの「特集」をクリック。
 ⑤は著作隣接権50年が切れてブートレグが出回ることを恐れ、63年の未発表音源をビートルズやビーチ・

ボーイズがiTunesでダウンロード販売した。特にビーチ・ボーイズ関係の超レア音源を集めた「ザ・ビッグ・ビート1963」は日本未販売なので海外の友人に頼むしかないのは残念なところ。その他、ブライアン・ウィルソンやポール・マッカートニーがアルバム未収録音源をiTunesのみで販売しているので要注意だ。
 ⑥はフー。2002年以降の膨大な過去のライブはザ・ミュージック・ドット・コム、ピート・タウンジェンド関係はイール・パイで販売され、ダントツの第一人者。
 最後にベスト・バイのCDはブライアン・ウィルソンやフーで未収録曲を付けていることがあるのでこれも注意だなあ…
(佐野邦彦=VANDA編集人)