2015年6月26日(金)

 
三木鶏郎『日曜娯楽版大全』

 4月に発売された2枚組CD、三木鶏郎『日曜娯楽版大全』。生誕百年には間に合わなかったが、ディズニー好きのミッキー氏のこと、101でお許し願いた

い。その出世作となったラジオ番組、NHK「日曜娯楽版」(昭和22年〜27年)、同「ユーモア劇場」(同27年〜29年)の音源から計84トラックが収録されている。

内訳は「娯楽版」27トラック、「劇場」57トラックで、テーマ曲やコントを除いた楽曲は「娯楽版」23曲、「劇場」52曲。およそ7割が「劇場」音源だが、歌手やアレンジを変えて繰り返し放送された楽曲も多く、本CDでも6曲は2バージョンずつ聴くことができる。
 三木鶏郎の編集盤は、すでにCM音楽や番組主題歌も含めた全集的なLP、CDがあるが、いまでは入手が難しくなっており、こうして初期の放送音源がまとめられたことは有り難い。これまでSPやLP、CDで発売された既発曲も、別バージョンでの初音盤化、初CD化を多数含んでいる。
 本CD収録の「娯楽版」音源23曲のうち、初音盤化は7曲。最も古い音源は、昭和25年大晦日に放送された「金づまり」で、身につまされる年末ソングだ。翌

年4月、月1回のシリーズ企画「日本文化史冗談版:イザナギとイザナミの子孫の物語」がスタート。能見正比古を中心にトリロー文芸部が総力を注いだ名物企画は、昭和27年6月8日の番組終了まで続いた。「太閤記ブギ」は、その第4回「太閤記の巻」からの初音盤化。同じく初出の「犬が見ていたあの手紙」を歌う灰田勝彦に似た声の男性、付属ブックレットでは不詳となっている。他の曲も、歌手については研究の余地がありそうだ。同曲が放送された昭和26年9月16日の第206回からは、最多の8曲(前テーマを含め9曲)を収録。この夜は、丹下キヨ子と楠トシエ、新旧ディーヴァの共演となった。
 かわって「劇場」音源は「ヤレンナ・マンボ」「おのぼり娘」など、6曲が初音盤化。作者自身が歌う

「東京チカチカ」は、昭和27年6月15日の第1回放送からの初CD化。以後、昭和29年6月13日放送の最終回まで、代表曲がバランス良く選ばれている。ルンバやマンボなど、ラテンのリズム歌謡にもいち早く挑戦。曲調に合わせて紹介パターンを変えるなど、音楽番組らしい工夫も伺える。
 楽曲のほか「コント」として、「娯楽版」オープニング・ネタ、「劇場」から「冗談スリラー」に加え、昭和29年4月4日放送の「冗談音楽」全編(9分半)が収められた。
 「秘密保護法って、いったいどんなことをするんだい?」「しぃっ!秘密だよ」
 「おい、四つの自由って、何と何だい?」「そりゃあ、おめぇ、憲法解釈の自由…」
 安倍内閣の話ではない。造船疑獄で世情が騒然となる中、時の吉田内閣は、ア

メリカの相互安全保障法(MSA)に基づく秘密保護法の制定を推し進めていた。放送日の1週間前、三木鶏郎は、参考人として参議院電気通信委員会に呼ばれたばかり。まもなく番組が終焉に向かう直前の放送、貴重な初音盤化だ。
 もちろん「日曜娯楽版」「ユーモア劇場」には、社会風刺のスパイスが欠かせない。だが、過度に耳を奪われると、その本質を聴き誤る恐れもある。ジャーナリスティックな側面は、むしろ制作者・丸山鉄雄(政治学者・丸山眞男の実兄)の意向が大きかったのではないか。いま改めてコントや風刺ソングの字面を追ってみると、意外と生ぬるい、安全弁的なもの(それすら現在ではタブーのようだが)も少なくない。
 しかし、音楽の躍動感は少しも色あせていない。た

とえば、昭和26年11月放送の「東京ランデブー」。この初CD化バージョンは、テンポを上げて、ご機嫌な歌と演奏を聴かせてくれる。同じ年、アメリカでは、ハンク・ウィリアムス「ヘイ・グッド・ルッキン」やビリー・ウォード&ザ・ドミノス「シックスティ・ミニット・マン」がラジオから流れていた。ロックン・ロール第1号とされるジャッキー・ブレンストン「ロケット88」がヒットしたのも、この年。トーキョーも負けちゃいられない。
(吉住公男=ラジオ番組制作)




買物日記「インドネシアでのこと。」


 4月の終わりから約一ヶ月、今年もレコードを探すため、インドネシアへ行っていた。少し前からインドネシアはレコードブームになっているが、今年は去年よりもレコードを探す若者が増えているように感じた。どこへ行ってもレコードを探す人がいる。その分新入荷の回転も早い。ただ、早いだけで質までいいとは言えない。毎日数千枚のレコードを見て、十枚程レコードが買えればいいほうだっ

た。朝10時にスラバヤ通りへ。午後3時になるとブロックMスクエアへ向かう。7時にはパサール・サンタへ。
 帰りの渋滞を避けるように帰ると午前0時を過ぎてしまう。レコードの回転が早いと一日にお店まで持ってこられる量が限られてしまう。そんな時は家まで買いにいく。今年は家まで買いに行くことが多かった。
 いつものようにブロックMスクエアでレコードを探

した後、バジャイに乗ってパサール・サンタへ向かう。レコード屋にいると一人の日系人に話しかけられた。聞くと、昔、仕事の関係で横浜にいたことがあったと言う。日本の血は入っているが、もう日本語は忘れてしまったようだ。「日本にいた時、ずっと聴いていた一本のカセットがあるんだよ。ただ、何て歌っているのかわからないし、誰が歌っているのかも忘れてしまった。どうしても知りたいんだよ。明日そのカセットを持ってくるから聴いてくれないか」と言う。ぼくは、わかった。明日また来るよ。と言って握手をして別れた。
 次の日、彼のお店へ行くと一本のカセットが用意されていた。もうボロボロでテープも伸びているけど、この曲を聴くとインドネシアのクロンチョンを思い出すんだよ。もう二十年以上

誰だかわからないまま聴いている。もっときれいな音で聴きたいんだ。そう言って出したテープは誰かが録音したような裸のカセット。それもライヴ録音だった。
 そして回転数も安定していない薄い音で流れてきた音楽。それはサザンオールスターズの『真夏の果実』だった。これはサザンオールスターズだよ。と言うと、きれいな音で聴けるならなんでもいいから、日本に帰ったら買ってきてくれないか。と頼まれた。
 その日、家に帰ってから持っていた携帯電話でiTunesを開く。初めてのことだから何がなんだかわからなかったけど、なんとか『真夏の果実』だけはダウンロードができた。
 別の日の夜。ダウンロードした『真夏の果実』を彼に聴かせると、おお。これこれ。と言って上を見上げ

た。いろいろ思い出してきたようだ。日本にいたときは友達が一人もいなかった。暇になるとパチンコをして、勝つとバッグや靴なんかと交換していた。パチンコばかりやっていたなあ。とつぶやいた。
 今でもあのときのあの顔をふと思い出す。ポカーンと開いた口。力の抜けきった顔。どこか遠くを見ているような目。ぼくが初めてダウンロードした曲は『真夏の果実』になった。
(馬場正道=渉猟家)



居酒屋散歩15《茗荷谷・ラ・クローチェ》


 地下鉄・茗荷谷は、通勤で通り過ぎる駅で、必要な時以外下車した事がなかった。10年ほど前に松本零士著「漫画大博物館」という本を作った時に、イタメシ屋に偶然入ったことが始まりで、時々下車するようになった。この本は松本先生の蔵書を時代順に並べて解説したもので、おのずと漫画史的な本になっている。具体的に古い漫画本の写真が載っているビジュアル本で、この様な漫画史的な本がなく、珍しかったのだろ

う、図書館に向いているとのことでTRCという会社が扱ってくれることになった。このため挨拶に行ったのが茗荷谷。
 打ち合わせは30分ほどで終わった。夕方だったし、知らない街を歩いてみようということになり、駅前をプラプラ散策しながら飲み屋の看板を物色していた。ワインが飲みたくなり、それらしい店に入ったのが「ラ・クローチェ」だった。
 漫画史の本だが、実はその数年後に「現代漫画博物

館」という「漫画大博物館」をより事典に近い形にし、当時の最新の情報(2005年)まで入れてまとめた本を作った。これだけ漫画が文化として認められてきているので、必要だろうということで作った本だが、いまだに漫画事典というとこの本しかないのが寂しい。確かにこのような本は作るのにはとても手間暇がかかるので、大変なことは事実だ。発刊時にいくつかの媒体が紹介してくれたし、新聞記者や仲間の編集者が机の上に置いて使っていると言ってくれたので、苦労が報われたと感じたことを覚えている。この「現代漫画博物館」もTRCのお世話になった。
 そんなことで茗荷谷の「ラ・クローチェ」は、ワインが飲みたい時に行くようになった。勿論イタメシもうまい。先日もイラスト

レイターのT氏とDNPにいたY氏と3名で改札口で待ち合わせ。春日通りと反対側に出てすぐ目の前の階段を上がると店だ。暑くなったので、席に着くとビールを頼んだ。でも2杯目からはワインになる。イタリア料理なので最初のワインは味のしっかりしたものを頼んだ。前菜にイワシのカルパッチョ(野菜もたっぷり入っている)、ピクルス、生ハム、ソーセージ、パテ&パンなど。すぐ1本目のワインが空いてしまう。後はハウスワインをいただく。このワインも赤、白とも結構いける。料理は、エゾシカの赤ワイン煮というのがあったので、パンの追加とともにオーダー。そして、ピッツァやリゾットなどにアタックするころには2本目のハウスワインに挑戦していた。
 3人とも還暦をすぎて、

T氏はのんびりとイラストを描いて、Y氏は印刷営業を週3日4時ごろまで気軽にやって、私も旅の合間に編集プロデュースをささやかにやっているが、「もう、無理はしないで人生を楽しもう」と言いながら、酒だけは元気よく飲んだ。2本目のハウスワインを傾けるようになったころには、3人ともいい酔い心地になって、身も心も満足、という所でお勘定。ハウスワインはまだ残っている。ボーイ

さんがきて厚紙で作ったメジャーを瓶に当てて、残りのワインを測っていった。その後に、金額を持ってきた。そう、ここのハウスワインは残した分は量り売りなのだ。瓶ごと持ってきてもらい、気軽にテーブルの上のボトルを注いだりして、楽しめるようになっている。支払いは、3人とも年金をもらいながらの生活なので、端数まできちんと計算しての割り勘だった。
(川村寛=編集者)