2015年10月9日(金)

 
三木鶏郎「クラリネット五重奏曲」が発売!


 先ず、第1楽章をジックリ聴いて下され。それで充分。1943年、大東亜戦争真っ最中に、「繁田裕司」なる29才の青年がこれを書いた。そして45年後、74才の「三木鶏郎」が、そのスケッチを発見、Macを使って楽譜化、シンセサイザーで試音化。さらに第2、3、4楽章を書き加えて

「作品化」したのが、この「クラリネット五重奏曲」。

 三木鶏郎は、想い出深いこの曲のナマ演奏を試みたが、第1楽章は演奏困難で成果は上げられなかった。1994年没後直ぐ、黛敏郎のテレ朝「題名のない音楽会/三木鶏郎追悼」で、冗談音楽やCMソングに混

じって、このクラリネット五重奏曲第1楽章の一部分が、藤家虹二とカルテットにより演奏され、聴衆をオドロかせた。三木鶏郎のクラシック?

 マスコミ音楽界の寵児、三木鶏郎と、無名の音楽青年、繁田裕司、このアイダに日本の現代社会が、色濃く映り込んでいるのだ。少年時代から西欧クラシック音楽に親しんでいた繁田青年は、ヴァイオリンを小野アンナ(1890~1979)に、ピアノを後の指揮者渡辺暁雄の母親、フィンランドの声楽家シーリに習うなど、正統派の音楽教育を受けていた。東大でも法学部と言うより音楽部のメンバーとして、後の作曲家、柴田南雄や戸田邦雄などと仲間付き合い。卒業後1940年、日産化学に入社後直ぐ、召集を受け陸軍二等

兵。幹部候補生試験を受けて中尉となり、千葉の軍部経理室勤務。スゴイのは軍務の傍ら、当時の日本作曲

界の最高峰、諸井三郎(1903~1977)に師事、本格的作曲を志したことだ。既に26才、大東亜戦争が始

まる前年、日本に於ける西欧音楽の将来など、まるで見えない時期。万事楽天的な大正リベラル世代の視野の広さも感じさせるが、これは矢張り、時代を超えた一種の「決意」。その勁さが、諸井学校の「卒論」として書かれたらしい第1楽章に溢れている。メロディの叙情性を一切排除、クロマティック下降と減5度音程を核とするテーマ音型。それを対位法で展開する構成。諸井の交響曲作品に倣った「純粋音楽」志向。「クラシック音楽」と言う呼称はアイマイ。後の三木鶏郎の「歌」や「劇音楽」や「CM」などメディアに乗って広がるシロモノはスベテ「応用音楽」に分類される。

 1986年頃から、三木鶏郎企画研究所の助手として、晩年の三木の活動、資

料整理に献身的に協力した竹松伸子さんによれば「なぜ、まだまだ充分余力のあった1970年代に、世間から身を退いたのですか?」との質問に、三木はこう答えたと言う。「《三木鶏郎》に疲れちゃたからさ」。 戦後、急激に広がったラジオ・テレビ世界で、アっと言う間に大成功を収めた「三木鶏郎」のココロのドコカに、「繁田裕司」がズーっと潜んでいたのだろうか?「クラリネット五重奏曲」第1楽章は、「作品」と言うより諸井スクールでの「習作」だろうが、印象は純粋・鮮烈。CDの演奏も秀逸。
(桜井順=三木鶏郎門下)
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●(写真中段・左)帝国大学生制服でヴァイオリン弾く繁田裕司●(中段・右)「クラリネット・クインテット」楽譜1ページ目



素晴らしい音楽が生まれる豊かな環境について考える
9月27日「アルファミュージックライブ」

 憧れのアーティストたちをこうして一度に観られる機会はもうないのではないか……僕のように当時のシ

ーンから20年も30年も遅れた人間にとって、ちょうど1カ月前の「風街レジェンド」と併せ、「アルファミ

ュージックライブ」は開催が発表されたその瞬間から、特別なものになることがすでに決まっていました。風街、アルファの関連アーティスト、スタッフたちが両輪のようなかたちである時期の日本の音楽界の一角を築き上げてきたことは、これら2つのイベントに共通の出演者が多いことからもわかります。さて、「風街〜」と比べて実に簡素な公式サイトで告知以上の情報があまりみられなかった「アルファミュージックライブ」は、最終的に誰が出演するのかも含め内容がまったく予想できず、9月27日日曜日、開演前のオーチャードホールは、ある種異様な緊張感に包まれていました。
 ここから始まる3時間半の本編については涙をのんで一部の感想にとどめますが、「中央フリーウェイ」

で音の波のなかを泳ぐように歌い踊る荒井由実さん、「竹田の子守唄」をギター1本だけで伴奏に歌い、大編成のバンドにまったく引けをとらない世界観を示した紙ふうせん、そしてなにより、吉田美奈子さんの歌唱が強く印象に残っています。これは僕だけだったのでしょうか、「夢で逢えたら」が〝吉田さんが大瀧詠一さんに逢いたがっている歌〟に聴こえたのです。
 終盤に披露されたのはは山上路夫さんと村井邦彦さんのコンビによる新曲「音楽を信じる〜ウィー・ビリーヴ・イン・マジック」。コンサートの冒頭から演目と演目の間で使用されていたBGMも、この曲をアレンジしたものだったのです。最初、ハイ・ファイ・セット「フィッシュ・アンド・チップス」のアレンジだと踏んでいた僕は見事に勘違

い。最後は村井さんのピアノ弾き語りによる「美しい星」。ルグランのアクセントか、ジョビンのボサノヴァ感か、とにかく〝普段歌わない人がたまに歌ったときのカッコよさ〟に満ちた演奏で、洋楽の響きを持った日本語の発音にすっかり酔いしれていました。発音といえば、プレゼンターのMCも含めてカタカナ英語がほとんど出てこなかったことも印象的でした。さらにデビュー前の赤い鳥のメ

ンバーが美容院へ連れて行かれたエピソードなどを聞くと、アルファには豊かな環境から生まれる豊かな音楽という思想が根底にあるようで、到底豊かとは言いがたい現在の環境や世情を省みて、改めて音楽を心と体すべてで楽しむことがこのコンサートのテーマだったような気がしました。
 とはいえ、ラフな格好でドタバタと会場に駆け込んでしまったのを深く反省。ドレスや着物の人も多く見られたことを思い出しながら、〝ボロを纏えど心は錦〟と言い訳するのをやめて「人間、一度はリッチに生きてみねばいかんなぁ」と帰り際にもらったカップヌードルをすすりながら思うのでありました。
(真鍋新一=編集者見習い)
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写真撮影・三浦憲治/協力・ニッポン放送



私的作家思考

 眉村卓の代表作といえば、一般の人にも思い浮かぶのが「ねらわれた学園」(73年)だろうか。77年にはNHKの「少年ドラマ」シリーズとして「未来からの挑戦」のタイトルでドラマ化(佐藤美佐子や伊東範子などが出演)。佐藤はのちに紺野美沙子と改名して女優として、伊東はのちに日高のり子と改名してアイドルとしてデビューした。81年には薬師丸ひろ子主演で映画化(眉村自身も出演)、82年には、ブレイク前の原

田知世が主演で再びドラマ化された。その後も2度のドラマ化と、2度の映画化(うち1度はアニメ版)されている。もちろん名作なのだが、個人的には彼のジュブナイル小説の中でも、「ねらわれた学園」は最高峰とはいいがたく、隠れた名作は多い。80年代までに刊行された角川文庫、ハヤカワ文庫、集英社文庫、講談社文庫、徳間文庫、秋元文庫の全眉村作品を読んだ筆者が個人的におすすめする作品を紹介する。

 「なぞの転校生」(72年)は、彼のジュブナイル作品としては最初期の作品。主人公のクラスに、美少年でスポーツ万能で天才博識の同級生が引っ越してくる。完璧な人物でありながら、文明への批判を口にするなど、異様な行動が目立つ彼の正体は実は予想外の人物だった……。テンポ良い文章とストレートなプロット。気軽に読める作品ながら、科学の進歩におけるリスクや未来に対する不安を描いており、メッセージ性に溢れた作品だ。75年にはNHK「少年ドラマ」シリーズで、14年にもテレビ東京でドラマ化された。なお、両作品に高野浩幸が出演、98年には映画化もされた。
 「つくられた明日」(80年)は、個人的には眉村ジュブナイルの中でも最高峰。NHK「少年ドラマ」シリーズの「未来からの挑戦」

の原作は、本作と「ねらわれた学園」の両作になっている。主人公が手にした「未来予告」と題された本をめくると、「あなたは10月31日に重大な危険にさらされます」とあり、11月1日以降は空白になっていた。その本を裏付けるように、奇怪な出来事は次々と起こりはじめていた……。主人公の心情などはさておき、ストーリーの面白さだけで引っ張るという、これぞ大衆小説の醍醐味というべき名作です。両作品とも、個人的には依光隆のイラストの盛光社版や秋元文庫版で読むのを推奨する。
(ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)