2015年11月13日(金)

 
『完本 市川崑の映画たち』が遂に刊行


 本誌同人でもある森遊机さんが、1994年に出版した『市川崑の映画たち』は、映画愛好者の間では〝黄色い本〟と呼ばれる伝説の一冊であった。当時4900円もした高額本、しかも500ページ以上に渡る大著で、欲しくても購入を躊躇する方も数多くいたと聞く。在庫切れになってから、古書価格で高値がついていたことからも、いかにこの本を多くの人が読みたがっていたかがわかる。そしてこのたび、新章を追加

する形で、洋泉社から『完本 市川崑の映画たち』として発刊することができた。
 同書は、森氏が市川崑監督に生い立ちから当時の最新作『四十七人の刺客』まで、監督作品を1作ずつ質問していき、それに市川監督が答えるといった一問一答式のスタイル。こういった形で映画作家のキャリアを振り返り、その作家性を浮かび上がらせる手法の映画本は、アルフレッド・ヒッチコック&フランソワ・トリュフォーの『映画術』

がよく知られるが、日本の映画監督にこれを行ったのは同書がほぼ最初ではなかろうか。
 何しろ92歳での逝去まで60年間にわたる監督業をつとめあげ、76本の監督作品を撮り、さらにはテレビドラマ、舞台演出、CM、PVにも積極的に参画し、ジャンルを横断して膨大な作品を世に送り出した大監督である。そのフットワークの軽さ、洗練された演出技法は他に比類なき才能である。
 その長大な歴史を1冊にまとめるのだから、森氏がインタビューを始めてから10年近い歳月がかかり、これだけ分厚い本になるのも当然のこと。当時はDVDもなく、旧い映画作品を観直して確認する作業も容易ではなかっただろう。そして、あまりにもジャンル横断で多様な作品を撮ってい

るため、1つの筋を織り上げ、そこに作家性を見出すという行為すら困難であったはずだ。
 また、この本が刊行された当時、市川崑は巨匠でありながら〝何でも撮る商業監督〟のような評価がなされていた。黒澤明、小津安二郎、溝口健二らに比べ、圧倒的に資料が存在せず、伝記本や研究書の類も一切なかった。90年代までのわが国の映画批評は、技巧派の監督を軽んじる傾向があったが、その最たるものが市川崑への低評価だったであろう。その意味でも、意義のある出版であった。
 この本を〝完本〟という形で刊行したい、というお話をいただいたのが今年の春。新たに追加された新章部分には、94年版以降の作品に関して、市川監督のインタビューや証言が掲載されている。これらは世に出

ていない貴重なものであり、晩年も多彩なメディアに興味を示し、果敢に挑んでいたことが、この新章をお読みいただければよくわかるはずだ。
 編集に際しては、データ部分をより正確に仕上げつつ、使用写真も、その配置も94年版と変えずに、何より表紙までまったく同じにすることが編集意図でもあった。写真の権利は20年前に比べ煩雑になっており、その他諸々、同じ本に追加しただけのように見えて、

今、同じものはそう簡単に作れないのだ。
 実のところ、この「まったく同じに作る作業」こそ、『犬神家の一族』を、30年の時を経て〝同じ主役で同じように撮って〟まったく違うものにする、という市川崑イズムの体現であったかもしれない…というのはおこがましいかもしれません。ともあれ映画鑑賞のお供に、ぜひ多くの方にご愛読いただきたいと思っております。
(馬飼野元宏=「映画秘宝」編集部)
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●映画、テレビ、CM、舞台… ジャンルを超えた多彩で絢爛な作品群。そのすべてが監督本人の肉声で語られる、唯一無二の大著。『完本 市川崑の映画たち』著・市川崑+森遊机/559頁/4300円+税/洋泉社より発売中



シャンソン&フレンチ・ポップスの誘い


 ビクターエンタテインメントの通販組織ビクター・ファミリー・クラブが主催するミュージックセミナーが、先月24日(土)に渋谷にあるビクター本社で行われた。今回のテーマは「シャンソン&フレンチ・ポップス」。前回に引き続き、音楽評論家の宮本啓氏をお招きし約2時間たっぷりとその魅力について語って頂

いた。今回のイベントは12月2日に発売予定のCD5枚組「フレンチ・ポップス・デラックス」(通販限定商品)の先行案内を主に、行われたもの。
 CDボックス「フレンチ・ボックス・デラックス」は、60~70年代に中心に一世風靡したシャンソンとフレンチ・ポップスの名曲112曲を5枚のCDに収め

たスペシャルな商品。特に今回は対訳の一部を一新、フレンチ・ポップスの新たな魅力を引き出している。
 今年はフレンチ・ポップスやシャンソンにも新たな動きが起きている。まず、ZAZ(ザーズ)。世界で最もアルバムが売れている仏音楽家の一人であるが、彼女が今年の1月にシャンソンのカヴァー作「PARIS」を発表。エディット・ピアフ、モーリス・シュヴァリエ、イブ・モンタンなどの作品を取り上げ、新たな息吹を吹き込んでいる。今月来日公演も予定されており、最注目のアーティストであろう。その彼女もカヴァーしたピアフも今年で生誕100年。来年の2月には、熱演が話題となった大竹しのぶの舞台「ピアフ」の再演も予定されている。
 今回のイベントでは、JVCケンウッド社のウッド

コーンステレオを使用し、このボックスセットに収録されている楽曲を中心に、約30名のお客様と共に試聴した。改めて気付かされるのは、フレンチ・ポップスの曲のポピュラリティーだろう。「夢見るシャンソン人形」「アイドルを探せ」「さよならをおしえて」などは、何度もリバイバル・ヒットされ、今なお人々の記憶に残る曲になっている。さらに「雪が降る」などは、日本語詞の曲がすでに原曲を超えて、日本人の心の中に浸透している。
 フレンチ・ポップスという言葉が近年、あまり聞かれなくなって久しいが、その楽曲の魅力は今なお、古びていない。来月発売される「フレンチ・ポップス・デラックス」をお聞きになって、是非、その魅力を体験して頂きたい。
(星 健一=会社員)



連載コラム【ヴィンテージ・ミュージック・ボックス】その21
ご当地ソングの地元愛は本物? カンザス・シティーの骨太サウンド

 カンザス・シティーはカンザス州とミズーリ州にまたがっている。大抵、カンザス・シティーと呼ぶ場合は、大きな市街地があるミズーリ州側のほうを指して栄えていないカンザス州側のほうはあまり話題にならない。カンザスという名前なのにこれではカンザス州の立場がないではないか。
 そのカンザス・シティーが音楽の街になったのは、禁酒法時代からだ。その頃悪徳政治家トム・ペンダーガストが州知事や警察の力を抑えこんで、カンザスを牛耳っていた。彼は禁酒法を逆手に取って、酒を造って大儲けをもくろみ、クラブやキャバレーで堂々と酒が飲めるように警察に黙認させた。酒を目当てに大勢集まり、ギャングもはびこり、酒場に欠かせないジャズも、大いに盛り上がったというわけ。

 ところが33年に禁酒法が廃止され、39年にペンダーガストが逮捕されると、街は勢いを失い、多くのジャズメンはニュー・ヨークやシカゴに活動の場を移してしまった。
 しかしカンザスに根付いたミュージシャンもいて、彼らによってカンザスの音楽は脈々と受け継がれていた。荒っぽく跳ねるシャッ

フルとそれを引き締める力強いギターのストローク。カウント・ベイシーの楽団でフレディー・グリーンがやっていたザック、ザックというあのリズムが、カンザスの音楽の背骨である。
 そのサウンドはこのカンザスで育ったチャーリー・パーカーが演ったビーバップやジャズとブルースにまたがって活躍していたビッ

グ・ジョー・ターナーを経由して、R&Bにも広がっていったのだ。
 カンザス・シティーを象徴する曲を聴いてみよう。59年、ウィルバート・ハリスンのズバリ「カンザス・シティー」。この曲はビートルズもカヴァーしているがあれはリトル・リチャードがロック&ロールに改造したヴァージョンをコピーしたもの。この曲の大元は52年のリトル・ウィリー・リトルフィールドの「KCラヴィン」である。
 ウィルバート・ハリスンは、オリジナルのクールな雰囲気をなくし、のんきな調子でカヴァーしているがそれでも、カンザスの太いサウンドは受け継がれている。さて、この曲はどんなことを歌っているかというと……
 ♪カンザス・シティーに行こう。イイ女とワインを

探しに、12番街へ繰り出すとしよう。
 この曲は、投げやりな調子がウケにウケて大ヒットを記録。図に乗ったハリスンは、翌年アンサー・ソング「グッド・バイ・カンザス・シティー」をリリースした。歌詞はこんな風。
 ♪さよなら、カンザス・シティー。ぼくらはニューヨークへ行くよ。イイ女が

見つかったから、ふたりで一緒に……。
 ああ、ウィルバート・ハリスンたら、なんとニューヨークへ行ってしまった。これではかつてのジャズ・ミュージシャンたちと同じだ! まったくもうカンザス・シティーの立場がないではないか……。
(古田直=『ぼくはもっぱらレコード』好評発売中)
●写真上 ウィルバート・ハリスンのビッグ・ワン・ヒット「Kansas City」収録のアルバム。実は彼はノース・キャロライナ生まれです。 ●写真下 ジャズ界のジミヘン(?)ことチャーリー・パーカーを発掘したジェイ・マクシャン・バンド。ジャケには地元カンザスの地図が描かれている。