2015年11月20日(金)

 
ヒトコト劇場 #71
[桜井順×古川タク]









【気まぐれ園芸の愉しみ】
苔のむすまで

 晩秋になると、傾いた陽の光に照らされて、春夏には気づかなかったものが目に留まることがある。花々が姿を消し、庭の色数が減るこの季節、こうした思わぬ光景との出合いを求めて庭を歩きまわるのが私の習慣になっている。
 例によってその日も珍しい光景を探し歩いていると、まるで私の期待に応えるかのように、あるものが目に飛び込んできた。
 枕木を何本も立てて作った父お手製の塀。その上に

庭の木々の黒い影が重なり、半日陰となっている一帯に、銀色のまばゆい光を放つ一角があった。
 近づいてみると、その正体は苔。塀の反対側から差し込む陽の光を浴びて、心地よさそうに葉を伸ばしている。そこだけを眺めていると、まるで小さな日本庭園のように見えてくる。
 しかも、よくよく見ると、灰緑色の葉の上には、芽のようなものが無数に生えている。あたかも小さな妖精たちが、こちらに気づかず

に、お祭りでもしているかのよう。思わず息をひそめて、しばらくうっとりと眺めた。
 苔のことはよく知らない。育てたこともないし、園芸のなかではけっこう難易度が高いとも聞く。軽い気持ちで足を踏み入れたら火傷しそうだ。
 それでも、あれだけきれいな苔がうちの庭にあるとなると、どうしても気になる。実は珍しい品種なのではないか?
 そんな余計な期待も秘めつつ調べてみたところ、「ギンゴケ」という品種らしいことが分かった。日本を含む世界中に分布し、都会のコンクリートの上から南極大陸まで、どこでも育つ丈夫な苔だという。
 ちなみに芽に見えたものは胞子体。その様相から「苔の花」とも呼ばれ、俳句の夏の季語にもなってい

るが、苔には花はないそうだ。
 それほど珍しくもない苔と判明して少しテンションは下がったが、不思議と落胆はしなかった。むしろ、うちの庭の一角を住まいに選び、カーペットを広げるように仲間を増やし続けて

くれたことが光栄ですらある。
 枕木を立てたのはおよそ十年前。おそらくその頃から、こちらの庭づくりを眺めつつ、この小さな箱庭を育んできたのだろう。その間、我が家の庭も変化したし、住む人間の人生も大きく変わった。「苔のむすまで」という言葉通り、成長したにせよ退化したにせよ、ともかく時を刻んできたのである。
 苔の箱庭は、苗木が大木になるよりももっとはっきりと、時の積み重ねを形にして見せてくれている気がした。
 これをきっかけに苔園芸にも手を広げるかって? とんでもない。今ある植物だけで手いっぱい。と思いつつ、気づくと苔の画像を検索しては、好みの品種を探してしまうのだった。
(髙瀬文子=編集者)



私的作家思考


 音楽を聴くのに音楽理論を知らなくとも全く問題は無いが、知っていると、さらに突っ込んだ聴き方をすることができる。筆者が音楽専門学校で音楽理論を学んだのももう20年ほど前のことで、ほとんど記憶の彼方に葬り去られている。そのため、手元に幾つかの音楽書を置いて常に確認したりしているが、良書もあればイマイチと感じた本もある。そんな、個人的に良書と感じた音楽書を紹介する。
 石桁真礼生、末吉保雄、丸田昭三、飯田隆、金光威

和雄、飯沼信義『楽典ー理論と実習』(65年)は、楽典の基本事項が掲載されている音楽理論書のバイブル的な書。筆者は、中学校時代に購入して、今やボロボロになり、最近2冊目を購入した。音楽大学の受験参考書としても使用され、合理的かつ明快な内容で、発売から半世紀以上経った今でも、音楽理論の入門書として高い人気を誇っている。
 島岡譲 『和声—理論と実習』(64年)は和声学の教科書で、全3巻及び別巻で構成されている。バロッ

クから、ロマン派までの和声を体系的に学べる内容で、東京芸術大学音楽学部の教授によって執筆されているため、通称「芸大和声」と呼ばれた。同大学の教科書として15年まで、40年に渡って使用された。15年からは林達也『新しい和声ー理論と聴感覚の統合』(15年)が採用されているが、こちらは未読。
 マークレヴィン『マークレヴィン ザ・ジャズ・セオリー』(05年)は、八千余円と高価な本であるが、ポピュラー音楽理論を学ぶのに最も適切な一冊といえよう。ジャズ・ポピュラー音楽を理解するのに、必要な知識を網羅。理論的な説明以外にも、プレイヤーたちがどのように使用してきたかの事例と共に、がわかりやすく説明されている。
 ジェリー・コーカー、ボブ・ナップ、ラリー・ヴィ

ンセント『改訂版 ジャズハーモニーを理解するための ヒアリング・ザ・チェンジ』(08年)は、スタンダードのコード進行についてのアナライズにより、コード・プログレッションを聴覚的に理解できる書。音楽を聴く際にコード進行に興味行く人ならば読んでおきたい良書だ。
 渡辺貞夫『ジャズスタディ』(70年)は、渡辺がバークリー音楽学校(現:バークリー音大)で学んだバークリー・メソッドを記した名著。当時のジャズ理論書としては、本書が唯一のものといってもいいのではないだろうか。ジャズ・ミュージシャンとしても日本ジャズ界の礎を築いた渡辺だが、ジャズ・ポピュラー音楽教育者としても礎を築いていたのだ。
(ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)