2016年3月4日(金)


買い物日記[15]


 2月28日、久しぶりに御茶ノ水駅で降りた。坂を降りていくと交差点のお店は立ち食いの焼肉屋になっていた。カウンターで立って焼肉を焼いている姿を見て、学生の頃、テストが終わったあとの自分へのご褒美のため、ちょっと良い肉を買ってキッチンに立ち、ご飯片手にフライパンで焼肉を

していたことを思い出した。今日の買い物の目当ては、神保町のレコード屋『オリエント』だった。
 そのレコード屋のあるビルの一階の鯛焼き屋には今日も行列ができていた。その奥のエレベーターで三階へ。扉が開くと常連らしきオジサンが二人、店主と雑談をしている。レコードを

見ている間、控えめな音量でかかるBGMのせいかその会話が嫌でも耳に入ってくる。それはJカップアイドルのサイン会へ行った一人のオジサンの話だった。それでも店内にあるレコードは最高だった。
 まずは見たことのないニュー・リズムの日本盤7インチ。ロックとルンバの融合、レイ・アンソニー「ロクンバ」。ペレス・プラードが作ったロックとマンボの融合、クルト・エーデルハーゲン楽団「百万長者のロカンボ」。 そしてここにはキューバのガラーチャ・リズムとマンボを一つちしたようなダンス音楽、と書いてあるラ・プラタ楽団「ウェディング・パチャンガ」。
 10インチコーナーも面白い。ポウル・マーク楽団「別れの磯千鳥」に日本盤があったのは知らなかった。

そしてトリオ・ロス・カリベス「コンサート・イン・ジャパン」では『銀座の恋の物語』『会津磐梯山』などをカタコトな日本語でカヴァーしている。
 まだまだ欲しいレコードが出てくる。ルイス・アルベルト・デル・パラナとロス・パラガヨス「パラガヨスのキサス小唄」、中尾ミエ「涙のバースディパーティ」。ずっと探していた小坂一也とワゴン・マスター

ズの「ハート・ブレーク・ホテル」の7インチ、ジャケット付きでみつけてしまった。興奮して聞いていなかったけど、そのサイン会へ行ったオジサンがちょうど今「あそこまでいくと小玉スイカみたいだよ」と言っている。ちょっと今はレジに行きづらい。もう少し店内を見て、そのオジサン達が帰るのを待ってからレジへ向かった。
(馬場正道=渉猟家)



音の出るマンガ家たち 水木しげる


 水木しげるは、独創的なオノマトペと音楽に溢れたマンガを描き続けた。貸本時代の名作「化烏」は音楽の真理を描いたものだったし、鬼太郎とねずみ男は「メロンの気持ち」にあわせてステップを踏んだ。
 「ゲゲゲの鬼太郎」の「ゲゲゲ」の由来は、TVアニメ化の際にネックとなった、原題「墓場の鬼太郎」

の「墓場」の代替案から。そこで、水木の幼少期の渾名が「しげる」から変化した「ゲゲル」で、しばしば「ゲゲ」とも呼ばれたという。転じて語呂よく「ゲゲゲ」という言葉が生まれ、「鬼太郎」を飾ったのだ。つまり「ゲゲゲの鬼太郎」とは「しげるの鬼太郎」の意であり、紙芝居の世界で描き継がれてきた伝説人物

「キタロー」を、水木なりに解釈したことを表明している。言わば、「ゴダールのマリア」であり、「ひばりの森の石松」なのだ。
  それが後に、「妖怪との死闘を終えた鬼太郎を讃える虫の音」と擬音化するのだが、どうだろ、虫の音としてリアルだろうか。これはもう、水木の描く幽玄世界に響く、空想の音なんじゃないか。そんな水木しげるの残した録音盤といえば、12枚組のCDセット『昭和を語り継ぐ』(09年/ユーキャン)の第二巻「水木しげる 最前線物語」と題された一枚。おなじみの戦争体験談だが、アナウンサーのナレーションで整理されており、もっと淡々と話を聴きたいと思ってしまうのはファンのしょうがなさだ。
 川勝正幸がまとめた、小山田圭吾『コーネリアスの惑星見学』(98年/角川書

店)はユルユルなルポ企画本。小山田はこのなかで水木しげると対面し、ジャマイカの教会でサウンドシステムを体験したことを語る水木の、的確な表現に驚いたりする。その際、旅行先での録音テープを聴かせてもらったときに借りたのであろう、北米先住民族・ホピ族の「精霊の音楽」が六千冊販売された「特別篇」の附録ソノシートに収録されている。「レコーデッド・バイ・ミズキ・シゲル」と何やらカッコいい(レーベルのエルビスの肖像は古谷実による)。ホピ族といえば以前に「カチーナ」と呼ばれる精霊フィギュアの展示を見たとき、目玉の親父そっくりなのを見つけてハッとしたことがある。これはかなり高度な偶然だ。夢を操るふたつの種族の出会いを見たような気がした。
(足立守正=マンガ愛好家



コード進行で聴く!01


 近年のJーPOPでこれでもかというほどに使用されているコード進行があるのをご存知ですか?
 モーニング娘。「恋愛レボリューション21」(作曲・つんく)、平井堅「瞳をとじて」(作曲・平井堅)、ケツメイシ「さくら」(作曲・田中亮)、AKB48「恋するフォーチュンクッキー」(作曲・伊藤心太郎)などで使用されている「ⅣーVーⅡmーⅥm」という進行です。ハ長調またはイ短調では「FーGーEmーAm」となります。特に呼び名はありませんが、フラ

ンク・シナトラやナット・キング・コールで知られる「恋をしたみたい」(47年)で使用されているコード進行のため、筆者は作曲を担当したフレデリック・ロウからロウ進行と呼んでいます。亀田誠治氏はこの進行を「小悪魔コード進行」と名づけました。
 メジャー・コードの「C」に解決せずに、マイナー・コードの「Em」と「Am」に行きます。前半部がハ長調、後半部が平行調のイ短調に一時移調していると考えてもよいかもしれません。この進行が明るさと暗さの

挟間のような、なんともいえない情景を演出します。
 このコード進行、最近になって良く聴くようですが、実は70年代から使用されていました。代表的なものに、チューリップ「サボテンの花」(75年)、風「海岸通」(75年)、荒井由実「卒業写真」(75年)、杏里「オリビアを聴きながら」(78年)、サザンオールスターズ「いとしのエリー」(79年)、上田正樹「悲しい色やね」(82年)、中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」(85年)、プリンセスプリンセス「世界でいちばん熱い夏」

(87年)などがあげられます。
 このコード進行、実は洋楽のヒット曲ではあまり聴きません。カラっと明るいサウンドが好まれる米国音楽と、翳りのあるサウンドが好まれる英国音楽の、両方の雰囲気を包括しているこのコード進行こそが、ある意味日本を感じさせるサウンドではないかと感じています。
 ただ、近年ではこの進行が乱用されすぎてしまい、曲本来のメロディーラインという部分にこだわりを感じさせてくれる楽曲が少なくなって来ている気がします。70年代や80年代のように、コード進行に依存しすぎず、強力なメロディーラインを持った楽曲を聴きたいものです。
(ガモウユウイチ=音楽ライター/ベーシスト)