2016年5月6日(金)

 
梅田ロフト「大ラジカセ展」


 2013年1月、 ソニーは、MD録再機の出荷を同年3月末で終了すると発表した。1992年、デジタル時代の手軽な録音媒体として登場したMDの歴史は、20年の時を経て、開発メーカー自身によって幕が引かれることとなった。ちょうどそのころ、「月刊てりとりぃ」の原稿依頼を引き受けたわたしは、初回のテーマに「カセットテープ」を選んだ。MDに先駆けること30年、1962年に発

売されたカセットテープ(正式名称コンパクトカセット)は、MDにとって代わられると考えられた時期もあったのだ。
 カセットテープへの愛着を綴った3年前には知らなかったが、同好の士は意外に多いようだ。しかも、少しずつ増殖しているらしい。アナログ再発見は、再生メディア(レコード)だけでなく、録音メディア(カセットテープ)にも及んでいるかも知れない、そう思わ

せてくれるイベントが、いま大阪で行われている。
 梅田ロフト5階、ロフトフォーラムで開催中の「大ラジカセ展」(17日まで)。展示の中心は、本展の監修者である、家電蒐集家・松崎順一氏のラジカセ・コレクションだ。蒐集にとどまらず「工場長」として自らレストア、販売も手がける松崎氏のサイトは、ラジカセに興味のある人なら、いちどは覗いてみたことがあるだろう。その膨大なコレクションの中から厳選された100台が、テーマ別に整然と並ぶ会場に足を踏み入れると、いまから40年近く前、大阪・日本橋の電器街に迷いこんだような錯覚に陥る。
 たとえば「スタンダード」の中央に鎮座する、アイワ「TPR820」。マットな黒の外観、逆さのVU計が目を引く。78年の発売当

時は6万円以上もしたが、CDの普及でラジカセの買い替えが進んだころ、近所の電器店で廃棄されているのを発見。無償で譲り受け、ずっと愛用している。かわって「ヒップホップ」の棚にそびえ立つ、シャープ「GF777」。同社の本社所在地、西田辺在住の音楽ファンとして、ラップ・ミュージックを伝道した元祖ゲットーブラスターの勇

姿は地元の誇りだ。同時に、現在の経営難を思うとき、ラジカセを筆頭にメイド・イン・ジャパンの家電製品が世界を熱狂させた時代は、もう二度と戻って来ない、そんな淋しさが胸をよぎる。
 ラジカセ本体に加え、カセットテープや周辺カルチャーに関する展示も、コンパクトながら内容は充実している。安齋肇、水道橋博士、永井博、三戸なつめ、

本秀康など、各界のカセット愛好家が個人コレクションを公開。テリー・ジョンスンの玉乱Gラップの壁に圧倒され、カセット愛を熱く語る、みうらじゅんのモニター画像に見入る。ミック・イタヤの協力で、カセットマガジン「TRA」も展示されている。わたしも買った「虎漫画」、檻の部分が破れやすいので取扱要注意です。
 また、ラジカセでエアチェックという連想から、在阪ラジオ局が懐かしい深夜放送グッズや写真などを提供、スタジオを模したコーナーでは、当時の放送音源も試聴できる。さらに、特設ショップでは、レストア済みのラジカセ本体、関連書籍、各種グッズなどを販売。話題のカセットテープ専門店、東京・中目黒「waltz」の輸入テープやトートバッグも手に入る。

 本稿更新時には終了しているが、5月5日「こどもの日」には、松崎工場長を迎えて、オリジナル・カセット作りのワークショップも行われる。加えて、連動イベントとして、7日(土)昼12時半から、大阪・宗右衛門町のロフトプラスワン・ウエストで、同氏のトークライブも予定されている。
 なお、本展は、このあと他会場への巡回も検討中とのことなので、全国各地の同好の士の皆さん、お楽しみに。
(吉住公男=ラジオ番組制作)
梅田ロフト「大ラジカセ展」特設サイト http://dairadicasseten.haction.co.jp/



古書とスイーツの日々
ゴー!ゴー!若大将フェスティバルの巻

 久しぶりに観た超豪華なステージだった。東京国際フォーラム・ホールAで2日間行われた『ゴー!ゴー!若大将フェスティバル』。加山雄三の55周年にかけたタイトルは、かつての若大将シリーズの一本『ゴー!ゴー!若大将』に由来している筈だ。ももクロやケツメイシ、斉藤和義らが出演した初日は都合で行けなかったが、ベテラン揃いの2日目に臨んだ。
 進行役を務めるスチャダラパーのBoseと加山と

のオープニングトークの後、最初のゲスト、ひめ風(南こうせつと伊勢正三のユニット)が登場。彼らの持ち歌の後加山が入り「旅人よ」を、同様に鈴木雅之が「夕陽は赤く」、水谷豊が「お嫁においで」、さだまさしは「ある日渚に」と、加山とのコラボが展開される。
 「加山さんがいなければ歌手にならなかった」と常日頃から公言しているさだは当然としても、この日意外なほどの熱い加山愛を語ったのが水谷豊である。饒

舌なトーク力で、加山の主演映画『赤ひげ』『姿三四郎』『乱れる』『乱れ雲』のディテールも細かく紹介。さらには「夜空を仰いで」「蒼い星くず」「別れたあの人」をアカペラで次々と歌う加山オタクぶりを発揮して会場を沸かせた。
 4組の後、シークレット・ゲストのザ・ワイルドワンズが登場して昨年惜しくも世を去った加瀬邦彦が最後に遺した曲「蒼い月の唄」を披露した後、さらなるサプライズ・ゲストのジャッキー吉川とブルー・コメッツが招き入れられて「ブルー・シャトウ」を歌うと、平均年齢60代と思われる会場が完全にひとつになった。その2組に加山が加わっての「想い出の渚」は、日劇ウエスタンカーニバルでも成し得なかった贅沢な共演が実現し、加山が一所懸命に加瀬の12弦ギターを弾く

姿に目頭が熱くなった。 
 加山のソロコーナーが圧巻の「マイウェイ」で締めくくられると、アンコールは吉例の「君といつまでも」、フィナーレは出演者全員で「夜空の星」を熱唱。「ステージではマイク以外持ったことがない」と話す鈴木雅之がエレキを抱えて歌う姿が見られたのも貴重だ。水谷に「ランちゃん元気?」と尋ねる加山の言葉から、頭の中で『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』のオープニング映像が甦ったり、加山と三原綱木との絡みでは、映画『年ごろ』で後の加山夫人・松本めぐみがブルコメファンの役で「つなきー!」と黄色い声をあげていたことを思い出したりと、脳内の加山検索エンジンが機能しまくりの夢の3時間であった。
(鈴木啓之=アーカイヴァー)



美味! 太陽カリー食堂


 カレーの名店数々あれど、突如、忽然と消えたカレー店、「太陽カリー食堂」を御存じの方はいらっしゃるだろうか。3年前に惜しくも閉店した欧風カレーの名店、川越「ジャワ」。そして、その後を追うように今年の2月に閉店した「ボンディ川越店」。どちらも急ではあったが事前に告知が

あり、「ジャワ」の閉店にはなんとか間に合った。しかし、表参道にあった「太陽カリー食堂」はそれこそ何の前触れもなく消失した。
 10年以上前になるだろうか。とんかつの有名店「まい泉 青山本店」によくランチを食べに行ったのだが、その途中のビルの1F(正確に言うと中2F)に見つ

けたのが、そのカレー屋だ。靴を脱いで入る仕組みで、カウンターと奥に座敷があり、座敷の長テーブルによく同僚と陣取った。カレーの殆どの値段が600円で、お替りも大盛りも確か無料で、今考えると物凄いコストパフォーマンスが高い。種類はベーシックがキーマ+目玉焼きの『太陽』、揚げ野菜がふんだんに乗った『野菜』、他に『玉ねぎかき揚げ』『オムカレー』『じゃがごろ』などがあり、チョイスに迷った事を覚えている。もちろん肉系も『ヒレかつ』『チキン』『牛すじ』など充実していた。今考えると、ほとんどお替りしていた記憶がある。ごはんの入った釜が置いてあり、自由に何度もよそってた。
 この店は昼のみの限定店舗で、夜は「てやん亭」という居酒屋だった。夜も何

度か通ったが、焼き物中心のいい店だった。それが、いつの日だったが、店自体が無くなったのである。いや、正確に言うと、カレー屋の昼の営業が無くなり、夜だけになったのもつかの間、店自体が無くなった。今は、無くなってから、随分経つが、確か、ブティックになっている。
 この「てやん亭」自体すっかり忘れていたのだが、検索して見ると、すぐ見つかった。㈱ベイシックスという会社が運営しており、現在は西麻布と渋谷に2店

舗残っていた。しかし、残念ながら、沖縄系の居酒屋に業態変更しており、ランチもやっているかもしれないが、カレーはおそらくないだろう。他にも、博多系や肉バルなどは見つかったが、それらしきものは無かった。思うに、「てやん亭」が今の沖縄系居酒屋に定着するまでの、試行錯誤の産物が「太陽カリー食堂」だったのだろう。しかし、願わくば、どこかの店舗で復活してくれませんかね、あの味を再び。
(星 健一=会社員)